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Interview with

沖澤のどか 京都市響常任指揮者

ゲネプロを終えた沖澤のどか
ゲネプロを終えた沖澤のどか

白熱のチャイコフスキー5番
京都市交響楽団 名古屋公演
強弱表現を追求 終結で圧倒的高揚

「第2楽章はぼんやりした明かり。
救いがあっても悲しい」

 名演の形容こそがふさわしい。沖澤のどかの指揮した京都市交響楽団のチャイコフスキー交響曲第5番は、名曲に新たないのちを吹き込み、深い感動で会場を満たした(6月26日、愛知県芸術劇場コンサートホール)。客席からは吐息ともつかない感嘆が漏れ、オーケストラが舞台袖に引っ込んでからの指揮者の呼び戻しも、聴衆の心からの思いから生まれた美しい光景だった。師のベルリン・フィル首席指揮者、キリル・ペトレンコの直系として、京響常任指揮者の沖澤はスコアの徹底した読み込みの下に、「プロのオーケストラとは初めて」と語る5番の演奏に臨んだ。開演直前に行ったインタビューの言葉とともに、演奏を紹介する。

藤盛一朗◎本誌編集


 序奏部は、ふつうの好演を予想させた。だが、進むにつれ、沖澤はテンポを揺らし、演奏の白熱度が増していく。スコアの強弱指定を読み解き、抑えるべきところは抑える。その行間にある感情の深さを表現しつつ、爆発するところで思い切りフォルテを響かせる。ティンパニをはじめ、京響奏者たちは選りすぐりの音色でその高まりを表現する。
 「ブラームスならどうか。その強弱指定はピアニッシモからフォルティッシモまで。その間にポコ・フォルテやメゾ・ピアノ、メゾ・フォルテがあります。ですが、チャイコフスキーはピアノが四つ、フォルテも四つの指定まである。強弱の幅がとても広いのです」

始まりはピアノ三つ

 ゲネ・プロ(当日の直前総練習)で、沖澤は、オーケストラに演奏をさせたまま何度も指揮台を下り、2階席にまで回って響きを確かめた。第2楽章の終結部のクラリネットの演奏では、「(始まりは)ピアノ三つです」とやり直しを求めた。楽譜の指定はピアノ三つからクレッシェンドでピアニッシモ、すぐディミヌエンドに転じてピアノ四つまで下がる。沖澤は旋律を歌い、その呼吸感を伝えた。
 「京都でのリハーサルで、繰り返し、繰り返しやってきたのは強弱のこと。フォルテを出しすぎてはいけないし、ピアノで縮こまってもいけない。こうして会場に来ると、(愛知県芸のホールは)響きが長くて、金管やティンパニを鳴らしすぎると音楽が分からなくなってしまう。コントロールがとても大切です」

暗闇の雪上を歩む

 ロシア音楽の個性は何かと問うと、「悲劇性です」という答えが返ってきた。「《スペードの女王》のようなオペラに端的に表れるドラマの暗さ。交響曲第5番冒頭の運命の主題が過ぎ、弦が歩みだすところもそうです。その響きは、足をとられそうになりながら雪の上を歩いているよう。疲れ切っているけれど、寒い暗闇の雪の中を歩くしかない。第1楽章の終わりにいたっては、ブーツが重くてザクザク音を立てるようです。ここは勢いでいけますが、あえて締めて表現する」。北国育ちの沖澤らしい例えである。
 第2楽章はどうだろうか。「ロシアは太陽の位置が低いのではないでしょうか。始まりのヴィオラのしぶみ。ぼんやりした明かりです。そこにホルンのソロが入ってくる。これは救い。とても美しいのですが、それでも悲しいのです」
 「第2楽章は歌心にあふれています。そしてテンポ表記がとても細かい。アニマート、ソステヌート、コンモート…。1小節ごとに書いているところもある。しかもオケがいきたいのとは逆の方向の指示が書いてあったりする。今回の演奏は、楽譜の指示通りです。そのまま演奏した方がドラマチックになります」

終楽章冒頭はメゾ・フォルテ

 交響曲第5番は、チャイコフスキーが創作段階のメモに記したように運命との相克が主題と受け止められ、「暗から明へ」の構造を持つ。沖澤は、「それでもベートーヴェンの5番とは違います。いきなり終楽章で明るくなるわけではありません」と語る。「チャイコフスキーの終楽章冒頭の強弱指定は、メゾ・フォルテ。直前の第3楽章がワルツでも、まだ完全には明るくならない。フィナーレが最後に近づいて、時々フライングの拍手が起きる全休止の後のコーダの開始も、(金管や弦の)フォルテの数は抑えられています」
 こうしたチャイコフスキーの強弱指定を細かく、表現することで、聴きなれた音楽のもつ本来の斬新さがあらわにされた。開放部分でのフォルテは、その前の幾段階ものダイナミックスの段階が意識された分、高揚感が増す。
 極限をいったのは、第2楽章だった。光と影、救いと闇の対比が、微妙なテンポの変遷を通じて克明に表わされる。チャイコフスキーの演奏に不可欠の「感情」が聴く者の心を揺さぶる。運命主題が荒々しく爆発した後の再現部の第1ヴァイオリンは、モルト・エスプレッシーヴォ。そして、オーボエの対旋律もモルト・エスプレッシーヴォ。ソロ・コンサートマスターの石田泰尚やオーボエ首席の高山郁子が表現の限りを尽くして旋律を歌う。ただ、それもメゾ・フォルテで一定の抑制をはらんでいる。

第3楽章の高貴な気配

 第3楽章からは高貴な気配が立ち昇った。19世紀の貴族社会の描写でも、ウィーンの舞踏会のような豪華さでもない。帝都サンクトペテルブルクの邸宅の広間で、あるいは自然に囲まれた田舎の夏の別荘で、集った人々が少し気取って手を取り、心を通わせながら踊るワルツ。チャイコフスキーは楽譜にドルチェ・コン・グラツィオーソと書いている。
 この日は前半でブラームスの《ハイドンの主題による変奏曲》が演奏された。その第1曲の木管楽器の吹奏からは、えもいわれぬ優しさがにじみ出た。こうした香気の立ち昇るような演奏の味わいも、沖澤=京響の魅力と感じられる。チャイコフスキー5番では第3楽章中間部の愛らしさも特筆される。
 子どものころに音の出る絵本で《くるみ割り人形》に出あった。「ピアノの先生との連弾で、ピアノ協奏曲第1番の良いところを発表会で弾いたこともありました」

ムラヴィンスキーの厳格さ

 バレエ音楽には惹かれたが、本格的にチャイコフスキーの音楽と向かい合ったのは、東京藝大の指揮科に入学してからだったという。「ムラヴィンスキーの交響曲の録音に出あいました。そして5番のリハーサル風景の録画を図書館で見つけたのです。なんという世界かと驚いた。全曲の出だしだけで、何十分も練習時間を使う。当時のソ連では指揮者の権限が絶大で、練習は必要なだけやったそうです。そうした厳しさの中から生まれた完璧な響きです。ロシアではバレエもピアノも、トレーニングで極限まで突き詰める厳しさがある。限界までいって生まれる芸術です。同時に、表現には抑制が存在する。ロシア人の気質とも深くかかわるのかなと思います」
 終楽章は、冒頭こそメゾ・フォルテで始まるが、チャイコフスキーの楽譜にはフォルテ三つが頻出する。民族舞踏風の部分の演奏は激しく、だが、ここでも中山航介のティンパニは、ピアノから4小節半でフォルテ三つ、すぐにディミヌエンドに転じてピアニッシモといった起伏を見事に表す。それによって全体の演奏の表情は実に大きくなる。
 こうしたうねるようなプロセスを経て、輝かしいコーダに到達する。だが、ここでも最初から全開放というのでなく、強弱は緻密に配慮され、最初の弦による主題はフォルティッシモ、その後の「全的な力を伴うエネルギーをもって」というトランペットによるフォルテ三つの吹奏で輝かしさはいよいよ増す。

校訂譜を見てシンバルを採用

 チャイコフスキーはトランペットに、最後の最後でフォルテ四つを求めるが、沖澤はそこにいたる過程で異例の仕掛けを施した。シンバルである。
「(2018年に出版された)校訂版に、シンバルについての注があります。…」

※この後の続きは、写真もふんだんに掲載している本誌をお手にとってお読みください。


Okisawa Nodoka

青森県生まれ。幼少期からピアノ、チェロ、オーボエを学ぶ。東京藝術大学で指揮を高関健、尾高忠明両氏に師事して修士号を取得。2019年には、ハンス・アイスラー音楽大学ベルリンでクリスティアン・エーヴァルトとハンス・ディーター・バウム両氏のもと第二の修士号を取得した。2018年、東京国際音楽コンクール〈指揮〉と翌19年のブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。20年から22年までベルリン・フィル・カラヤン・アカデミー奨学生、及びキリル・ペトレンコ氏のアシスタントを務めた。23年4月、京都市交響楽団第14代常任指揮者に。今年11月にはボストン交響楽団とロンドン・フィルの定期演奏会にデビューする。