戦争レクイエム 長崎原爆の日に
兵庫芸術文化センター管定期演奏会
「戦争は現在進行形
未来のための祈り必要」
佐渡裕が8月8~10日、兵庫県立芸術文化センターでブリテンの《戦争レクイエム》を指揮した。兵庫芸術文化センター管弦楽団の定期演奏会。「長崎原爆の日」を中日とする日程は、平和への深い思いを示す。9日の終演後のインタビューで、この作品に込められた祈りを語ってもらった。
藤盛一朗◎本誌編集
──殺し合った兵士たちが「ともに眠ろう」と呼びかけ、安息と平和の祈りの「アーメン」合唱で全曲が結ばれました。
今年は戦後80年です。阪神淡路大震災から30年、兵庫芸文開館から20年、そして偶然にも万博の年ともなりました。万博開幕は「一万人の第九」で祝い、「長崎原爆の日」のきょうは《戦争レクイエム》です。そして年末は、再び第九で特別な時を刻みます。
自分の中ではすべてがつながっています。ベートーヴェンの第九は、「人類は一つの兄弟になる」とうたう。分断が進む現代への大きなメッセージです。1月に演奏したマーラーの交響曲第8番《千人の交響曲》では、(震災からの復興に尽くしてきた)人の力をたたえる思いがありました。そして今、戦争は過去の話ではないということ。《戦争レクイエム》のオーウェンの詩がいう戦争のpity (哀れみ、悲惨)そのものの状況です。
「なぜ」「神はいるのか」という問い
──そのpityと言う言葉の解釈は?
人が死んでいくこと。半分もの欧州の人が死にさらされたと歌詞にある。pity は深い悲しみです。まちが破壊され、家族が殺される。そうした時に生まれる「なぜ」という問いも、pity です。「神はいるのか」という問いも含まれます。
「怒りの日」のトランペットは、進軍ラッパさながらです。ブリテンは音によって戦争のむなしさ、怖さを表しています。「リベラ・メ」(私を解き放ってください)は、地獄からのうめき声のようです。
この作品は、1962年に初演されました。私が生まれたのは前年で、戦争を知らない。とはいっても、終戦から16年しか経っていません。広島や長崎は過去のものではありません。新たないろいろな証言が出てきます。そして、世界では戦争が生々しく進行中なのです。
他人事でない爆撃の続く世界
──戦後80年にもかかわらず、真正面から戦争や平和を問う公演は意外に少ないと感じられます。
戦争は他人事ではありません。帰ったら、家族が爆撃で命を落としていた──。そんなことが今、世界で続いています。あっては、なりません。室内オーケストラが(2人の男声独唱者と)担った演奏の主題は、死です。戦争の実相を知っている人の詩であり、音楽です。
──こうして演奏に耳を傾けると、ブリテン自身には、深い祈りの心があったと感じられます。
ものすごく強い反戦の思いがあった。もともと戦争で破壊された聖堂の再建を機に作られた曲ですが、この音楽はすごいと思う。大合唱が「永遠の安息を」と歌ったそばから、「何が弔いの鐘だ」と疑問をぶつけるように歌うのです。
それでもこの曲には祈りが存在します。(終結の合唱は)「アーメン」(かくなりますように)という言葉の意味を深くとらえたハーモニー。抗議をしながらも、とても深い宗教心のある音楽です。
《戦争レクイエム》を演奏する佐渡裕指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団(コンサートマスター:豊嶋泰嗣)と、
特別編成の合唱団。舞台左手には、小編成の室内オーケストラが配置され、少年少女合唱は上階で歌った©飯島隆
──原爆のような不慮の死を遂げた人たちはどこへ行くのか─。この曲からはそんな宗教的問いも感じます。
阪神淡路大震災の震災後の課題は、人の力で安全で美しいまちを再び築くことでした。私たちは震災で犠牲になった人たちに対し、痛ましいという感情を覚えました。そして、同時に頑張らなくてはと思いました。
前に進むために、祈ることは大切です。(小学生から高校生までの同センターを拠点とする)スーパーキッズ・オーケストラを連れて、東北地方の被災地を訪れています。海に向かっての献奏から始めます。釜石の松林で朝から演奏する。それから大船渡や宮古に行く。津波で人口の半分くらい犠牲者が出た所もある。
《戦争レクイエム》でも、欧州の半分の人が戦争に巻き込まれたと歌う。悲劇です。なのに、また戦争をしている。効率よく他国を滅びさせる方法を考える。
──この曲は人類への警鐘でもありますね。
そうです。戦後80年だからでなく、この曲はもっと演奏しなくてはならない。この後は12日に東京の墨田区で、新日本フィルとフォーレの《レクイエム》を演奏します。亡くなった方に手を合わせるのです。
死や地獄を描くのに、画家はどういう色を使うか。音楽ならどういう音を選ぶか──。音楽では死や地獄も、命も「レ」を使うことが多い。モーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》の冒頭は、まさにレ。死はニ短調で、同時に第九の喜びの歌や《メサイア》のハレルヤ・コーラスもレの音。こちらはニ長調です。
ですが、この《戦争レクイエム》はドとファのシャープから始まります。
──その音の組み合わせの意味は?
もっとも遠い音ですから、不安と不調和です。それが、永遠の安息を願うところで使われる。複雑です。ただ安らかに眠ってください、ではありません。
※師のバーンスタインを語った原稿の完全版は、本誌を手にとってご覧ください。
兵庫芸術文化センター管弦楽団第161回定期演奏会
ブリテン:《戦争レクイエム》
8月8日(金) 、9日(土)、10日(日)
兵庫県立芸術文化センター KOBELCO 大ホール
指揮・芸術監督:佐渡 裕
ソプラノ:並河 寿美
テノール:小原 啓楼
バリトン:キュウ・ウォン・ハン
室内オーケストラ指揮:齋藤友香理
合唱指揮:矢澤 定明
合唱:ブリテン「戦争レクイエム」合唱団
児童合唱:伊丹市少年少女合唱団・夙川エンジェルコール・宝塚少年少女合唱団
京都出身。京都市立芸大卒業。レナード・バーンスタイン、小澤征爾らに師事。1989年ブザンソン指揮者コンクール優勝、1995年第1回レナード・バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクール優勝。パリ管、バイエルン国立歌劇場管、ベルリン・フィルなどを指揮。2015年よりオーストリアのトーンキュンストラー管弦楽団音楽監督を務めた。2002年から兵庫県立芸術文化センター芸術監督。23年から新日本フィル音楽監督。「1万人の第九」総監督。