
ウィーンに住み、演奏活動を続けている平野和
(平野和提供)
平野和がマーラー
《子供の不思議な角笛》曲集
8月の東京リサイタル 岸田繁作品も
「分断や格差拡大。今の世界に共鳴する音楽です」
藤盛一朗◎本誌編集
バス・バリトンの平野
──マーラーの交響曲ファンにその名が知られている《子供の不思議な角笛》ですが、リサイタルで歌われる機会はあまり多くなく、貴重です。
今回の企画の出発点は、マーラーです。楽器としての自分の声が成熟し、今はこの曲にしっくりきます。マーラーはオーケストラ版もピアノ伴奏版も自分で作っていますが、本来、オーケストラに負けない声量が求められます。
そしてマーラーとの相性を考えて選んだのが、デュパルクです。フランス歌曲ではあってもドイツに近く、ワーグナーやシューベルトを思わせるところがあります。声種からも、テクニック上もハードルが高い作曲家です。(中音域と高音域の間での)ポジション・チェンジも問われます。音域的にも高くて、低いのです。
兵士が主人公の2曲
──平野さんは、ふだんから思いをもち、さまざまなことを考え、何かを伝えたいという動機をもって演奏に臨んでいるという印象を受けます。
この時代にマーラーを歌う理由はあります。《子供の不思議な角笛》には、兵士を歌っている曲が2曲あります。最前線で太鼓を打つ「鼓手」。味方を鼓舞する役ですが、武器も持たず、攻撃を受けるのは一番初め。言ってみれば死ぬための役割です。「起床合図」という曲も、最前線に赴いている兵士の心情や、状況の矛盾を歌っている。同じ人間であるのに、命の重さが違う。
ここ最近、世界情勢はものすごく不安定です。分断が広がっています。富める人はますます富み、貧しい人はどんどん貧しくなっている。その格差が広がっています。オーストリアでも日本でも予算が削減され、文化にしわ寄せがきています。こんな状況にマーラーの音楽は共鳴するのです。
今回歌うマーラーは6曲の予定です。「この世の暮らし」「少年鼓手」「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」、それから交響曲第2番第4楽章で歌われる「原光」、「起床合図」、鳥が歌合戦をする「高き知性を讃えて」。これらの曲には、皮肉が含まれています。決して笑い過ごすことができない。現代生きているわれわれの状況をものすごくよく言い当てています。マーラーを取り上げたいと思った大きな動機です。
──ロバが審査員の「高き知性を讃えて」は、今、どんなことを語りかけると思いますか?
本質的なことを理解していないということ。情報があふれるばかりで、繊細な、大切なものを自分に取り込んだり、イメージしたりすることがものすごく弱くなっているのではないか。ものごとの判断の基準は、経済的に意味があるかないか。長いスパンでものが考えられなくなっています。シニカルなマーラーの歌を歌っていると、自分自身がそのことに気づかされるのです。
──交響曲第2番第3楽章にも引用される「パドヴァの聖アントニウス」はいかがですか?
魚たちは人間に例えられています。いくらありがたい話を聞いても、日常に戻れば忘れてしまう。食べることが好きだったり、女性を誘惑したり、暴力的だったり…。説教を聞いて日ごろの傾向がいったん消えてもまた戻ってしまう。本質の理解を欠いているからです。

ウィーン郊外のホイリゲで
(平野和提供)
「原光」には根源的メッセージ
──交響曲第2番第4楽章の原曲でもある「原光」はいかがでしょう?
これはストレートなメッセージです。生きづらい世の中で、理想郷や天国に思いをはせる。この世をつくりたもうた「父」を思う。皮肉な歌に囲まれる中で、こういう曲を歌うと、強いメッセージ性を持ちます。この「原光」はすべての歌曲のレパートリーの中で、一番美しい曲ではないかと思っています。
──ロックバンド「くるり」の岸田繁の曲も予告されています。
岸田さんとは、雑誌の取材でウィーンで出あいました。クラシック音楽の愛好家であり、交響曲も作曲しています。京都市交響楽団で作品が演奏されています。私自身も「くるり」の主宰する京都音楽博覧会に出演したことがあります。
岸田さんの曲は京都の歴史や情景をイメージさせ、内面に迫ります。クラシック音楽の聴衆の外に向けて音楽を届けたい思いもあります。
日大芸術学部、ウィーン国立音大修士課程を首席修了。末芳枝、R.ハンスマン、R.ホルに師事。グラーツ歌劇場デビュー後、ウィーン・フォルクスオーパー専属歌手を14年間務める。ウィーン楽友協会、ベルリン・フィルハーモニー、ザルツブルグ音楽祭等へ出演。25/26シーズンはフォルクスオーパー《魔笛》、バッハ・コレギウム・ジャパン上海公演に出演の他、独・コトブス州立劇場《ナブッコ》ザッカリア役でロールデビュー。国内外でその存在感を高めている。
音と言葉のあいだの風景〜
マーラー、デュパルク、岸田繁
平野 和
バス・バリトン・リサイタル
日時:2026年8月15日(土)14:00開演
会場:渋谷区立文化総合センター大和田 さくらホール
主催:ジャパン・アーツ
<曲目>
マーラー:歌曲集『子供の不思議な角笛』より
原光/魚に説教するパドヴァの聖アントニウス
少年鼓手/高き知性を讃える
デュパルク:旅への誘い、悲しき歌、ローズモンドの屋敷
岸田繁(くるり)〈編曲監修〉:宿はなし、ブレーメン ほか
共演:平野小百合(ピアノ)