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vol.136 ピアノ 阪田知樹

指揮者、鍵盤奏者 鈴木優人
ラフマニノフの協奏曲「全曲」演奏を果たした阪田知樹
©藤本崇

ラフマニノフ「全曲」演奏
「最後はトランス状態。未経験の特別な感覚」

 生誕150年、没後80年のラフマニノフ。阪田知樹が、四つのピアノ協奏曲と《パガニーニの主題による狂詩曲》を一挙に弾く快挙を果たした。ラフマニノフの音楽の魅力や全曲演奏の舞台裏を語ってもらった。

(藤盛一朗◎本誌編集)


──全曲演奏がどんなに大変なことかは、容易に想像できます。

 通常の公演は、1曲弾いてアンコールを一つ。今回は実に3部制です。第1番、第2番の第1部ですでに普通より長いという感覚はあり、その段階でかなりの充足感がありました。
第2部に入った時、「残り3曲あるのだな」とあらためて思いました。リストの四つの協奏曲を弾く演奏会は経験しているのですが、1曲が15~20分のリストに対し、ラフマニノフは《パガニーニ》でも25分、一番長い第3番は40分かかります。のしかかってくるものが大きいのです。1曲ごとに集中力が高まり、とても不思議な感じがしました。
最後の第3番は、一番弾いている曲です。ある種のトランス状態となり、本能で演奏している感覚がありました。終わった時には、経験したことのない興奮というか、特別な感情を味わいました。

第4番を終え、気持ち楽に

──マラソンの「ランナーズハイ」を想い起させるお話です。ペース配分は?

  当然スタミナ切れはありえます。それ以上に第1番と第4番は、演奏機会が圧倒的に少ない。私には今回が2度目です。慣れていないので緊張度が高かったのです。第1部は無意識にセーブしたかもしれません。第4番が終わると、気持ちが楽になりました。

──第3番は、どのくらい弾いていますか?

 確実に二桁はいっています。初めて弾いたのは15歳です。

──コーダはアッチェレランド(加速)がかかり、息をのみました。

 第3番は、異国の地でピアニストとして活躍していくラフマニノフの人生の選択がうかがえる曲です。自身の名技性(ヴィルトゥオージティ)が前面に出されています。

──ホールを埋めた聴衆は、ものすごい勢いで立ち上がりました。

 あのような反応をいただいたことは、素直にうれしかったです。長い演奏会。一緒に聴いたある種の達成感があったのではないでしょうか。

食事も重視 前夜はトンカツ

──スタミナ面では、特別な食事はされましたか?

 肉類が好きなのでいつもより多めに食べ、前夜はトンカツにしました。「勝たなきゃいけない」と思いました。食事や睡眠は良い演奏に大切です。

──ラフマニノフは、レパートリーのどんな位置を占めますか?

 作曲家ですが、名ピアニストであり、指揮者としても素晴らしかった。CD10枚分の録音があり、ピアニストとしての個性をはっきり知ることができます。私も作曲をするので、理想像として心から尊敬しています。ピアノ協奏曲と《パガニーニ》は5曲とも、なくてはならないレパートリー。バッハ、ベートーヴェン、リスト、ショパンに連なる作曲家です。

──作品に意識的に取り組むようになったのはいつからでしょうか?

 14歳のころから《前奏曲》、《絵画的練習曲》などを弾き始めました。祖国への思いや自然を愛したことなど人生を知ると、より人間的な魅力を感じました。その後、ロシアのピアニスト、ニコライ・ペトロフ先生について勉強をした16、17歳のころから、ラフマニノフはこう弾くのだと意識したと思います。

ペトロフのテヌートの教え

──ペトロフのレッスンではどんなことを学びましたか?

 音色の作り方です。楽譜の表記のテヌートは保持するという意味ですが、「ラフマニノフは特別な時に用いている。そこに感情表現がある」と教えられました。ラフマニノフは、心の中を大事にしている作曲家です。

──《パガニーニ》の第17変奏から第18変奏など、移行部分の叙情の深まりも印象的でした。どう歌うかというロシア音楽の課題にはどのように向かい合ってきたのでしょうか?

 私は音源を聴くのが好きです。ラフマニノフの音楽が求める表現を知るには、歌曲を聴くのが大切だと思っています。ラフマニノフの協奏曲の第3番で右手が分厚い和音を弾いたりするのは、オペラの合唱のイメージではないかと思います。ラフマニノフではカンタータ《春》、合唱交響曲《鐘》といった作品を聴くのは、とても大事だと思います。
ラフマニノフの歌曲にはまり、楽譜をたくさん買って作品21の7〈ここは素晴らしい〉や14の4〈私は彼女のもとにいた〉、34の14〈ヴォカリーズ〉などをピアノ用に編曲しました。チェロ・ソナタもとても好きで、どうにか独りで第3楽章を弾けないかと思い、ピアノ・ソロ版に作り直したこともあります。

──そのチェロ・ソナタやピアノ協奏曲第2番は、交響曲第1番初演の挫折体験の超克を象徴する作品ですね。

 あまり指摘されないことですが、第2番について最近思うのは、協奏曲より交響曲に近いということです。交響曲第1番の初演失敗の原因は、指揮者が十分に準備をしなかったからでした。ラフマニノフは、自分がピアノを弾けば失敗を防げると考えたのではないか。第1楽章第1主題は、オーケストラが全部弾きます。意外にピアノは前面に出てこないのです。第3番と比べると、その違いは明らかです。

広大な大地歌う第2番
第4番には現代の響き

──第2番は何についての曲でしょうか? 鬱を乗り越えたことが主題という単純な話ではないですね。

 それは違います。「第1楽章冒頭を聴くと、ロシアが立ち上がるのが目に浮かぶ」─。私の好きなメトネルの言葉です。広大な大地を高らかに歌う感動的な曲。私には、第3番より普遍的に感じられます。
第3番はスケールは大きいのですが、より個人的です。心の葛藤があり、「だけど私は…」という意志を感じさせます。
米国で作曲された協奏曲第4番は、作風が違います。ロシアの大地から離れて創作が少なくなった。メトネルに励まされて書いた作品です。迷いや不安があったのか、同時代の新しい音楽を聴いて書いた痕跡があります。ショスタコーヴィチやストラヴィンスキーを聴き、「ああいうのが書けたらな」と。第4番には確かに、ショスタコーヴィチを意識した響きがあります。

──全曲演奏会は本当に果敢な挑戦であったと思います。

 生誕150年・没後80年というまれな機会です。29歳ですが、20代の最後に今やっておきたいと思いました。第1番、第4番に取り組めたのもうれしかったのです。

Sakata Tomoki

2016年フランツ・リスト国際ピアノコンクール第1位、6つの特別賞。 2021年エリザベート王妃国際音楽コンクール第4位入賞。東京芸術大学を経て、ハノーファー音楽演劇大学大学院ソリスト課程に在籍。
第14回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールにて弱冠19歳で最年少入賞。
ピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリ、聴衆賞等5つの特別賞、クリーヴランド国際ピアノコンクールにてモーツァルト演奏における特別賞、キッシンゲン国際ピアノオリンピックでは日本人初となる第1位及び聴衆賞。
ニコライ・ペトロフ、パウル・バドゥラ=スコダに師事。世界各地20ヵ国以上で演奏を重ね、国際音楽祭への出演多数。2018年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウスにリサイタル・デビューを果たした。


阪田知樹 ラフマニノフ・ピアノ協奏曲全曲演奏会

9月17日、サントリーホール

  ピアノ:阪田知樹
指揮 :大井剛史
演奏 :東京フィルハーモニー交響楽団

  ラフマニノフ:
ピアノ協奏曲第1番
ピアノ協奏曲第2番
ピアノ協奏曲第4番
《パガニーニの主題による狂詩曲》
ピアノ協奏曲第3番