阪田知樹©藤本崇
リストの技巧と世界観
シューマンの普遍的メッセージ
聞き手 垣花理恵子(本誌編集)
1歳違いのリストとシューマン。ともにベートーヴェン後の音楽はどうあるべきかを追求し、ピアノ曲の傑作を多数残した。両者の作品を精力的に演奏してきた阪田知樹に、その魅力について聞いた。
──阪田さんが最初に弾いたリストの曲は何でしょうか。どんな印象を持たれましたか?
《BACHの名による幻想曲とフーガ》を中学2年の時に弾きました。これが人前でリストの曲を弾いた最初です。コンクールの自由曲として先生が選んでくださったのですが、よくわからないな、と思ったのが逆にとっかかりとなったんです。ショパン、モーツァルト、ベートーヴェン、バッハなどを弾いてきて、リストの中でもいわゆる「定番」ではないこの曲を弾いた時、半音階的な和声進行や不明瞭な調性感がストンとこなかった。それで逆にリストを知りたくなり、様々なジャンルに膨大な作品があり、年代によって作風が変わることにも興味を持つようになりました。
──確かに、例えばヴィルトーゾ・ピアニストだった時代の超絶技巧的な作品と、宗教的テーマを扱った晩年の《伝説》等では全く違うと感じます。
ただ、リストは若い頃からたくさんの詩や小説、そして聖書も読み込んだそうです。身分違いで結ばれなかった恋もあり、人生への問いかけや救いを宗教や芸術に求めていたところもきっとある。華やかな作品だとそこに目を奪われがちですが、その中にも宗教的要素の萌芽はつねにあり、年代によって単純に隔絶されたものではないだろうと受け止めています。
音楽的ヴィジョンのための技術
──難技巧の「エチュード(練習曲)」というジャンルで、リストは何を表そうとしていたのでしょうか。
《超絶技巧練習曲》で言えば、「鬼火」、「幻影」、「雪あらし」など、リストのエチュード作品はタイトル付が多いんですね。ピアノの演奏技術によってここまでの表現ができると示す、一つの方途だったのだろうと思います。あくまでも、音楽的ヴィジョンを描くための難技巧を、彼は「エチュード」という名称で行ったということでしょうか。
──シューマンの場合は?
《交響的練習曲》については、成立過程に複雑なところがあるのですが、当時親しかった女性の父親が書いた旋律をテーマにしている。それを変奏していくごとに、フーガの要素や室内楽的音響を作ったりして、シンプルで凡庸な最初の旋律が見事に料理されていく。音楽的な引き出しを次々開いて見せていく様子がきわめて独創的です。
芸術への力強い賛歌
ベートーヴェンという巨人
──同時代を生きた2人には、相互に献呈しあった名曲があります。シューマンからリストへは、《幻想曲ハ長調》(1838)。この曲の魅力、価値は。
《幻想曲》はベートーヴェンの記念碑建立の際に作曲され、彼の歌曲《遥かなる恋人に》の引用もあるので、恋人クララへの愛の表現と言われたりしますが、僕は別のエネルギーを感じます。あからさまにクララを意識しているピアノ協奏曲の美しさとは異なり、シューマンの力強さを感じるのです。一編の歌を歌い上げるような壮大さ、芸術への愛の賛歌です。最後に心が浄化されて穏やかになる第3楽章は、ベートーヴェンの最後のソナタ、第32番の2楽章に近いものがあります。パーソナルなことではなく、もっと大きな普遍的なメッセージが込められています。
──《幻想曲》への返礼として、リストはシューマンに《ロ短調ソナタ》(1853)を献呈しました。
30分の中に、デモーニッシュな部分もあれば、天国的なところもある曲です。当時の文化状況の下、リストもシューマンも、これまでの音楽とこれから自分たちが作る音楽を見据えて、総括された芸術を追い求めていた気がします。リストのソナタの重要性は、「ベートーヴェンの33番目のソナタ」とも言える位置づけにあるのではないかと。
32曲、ベートーヴェンの素晴らしいソナタがあって、形式的な試行錯誤があり、最初のテーマが最後まで用いられるライトモチーフ的な31番で完結したかと思ったら、二つの対照的な楽章から成り、第2楽章は変奏曲という32番をさらに書いた。全てを踏まえたリストは、じゃあ、単一楽章の中に複数楽章のものを入れたらどうなるかを実験した。リストとシューマンの視線の先には、ベートーヴェンという巨人が立っているんですね。
無調作品の独特の暗さ
──これから特に取り組みたい2人の作品は?
シューマンでは、例えば《森の情景》。シンプルですが、彼の音楽的な内面性がよく出ています。リストでは、亡くなるまでの10年間位に書かれた楽曲、無調の作品に興味があります。《暗い雲》《R.W.-ヴェネツィア》《悲しみのゴンドラ》などには、この頃のリストにしか出せない、なんともいえないダークな世界観があります。個人的に近しい人が亡くなったとかそういうことではなく、大きい意味での独特な世界がある。
──最後に、2人の作品をあらためて弾いてみたいという読者におすすめの曲を。
シューマンは、やはり《子供の情景》ですね。一曲目の「見知らぬ国と人々について」はうつろいゆく感じ、彼の個性がよく出ていると思います。両手の親指を使う真ん中の声部が重たくならないよう、整えて、きれいに流れるように弾いていただきたいです。
リストだったら、《2つの演奏会用練習曲》の「小人の踊り」はいかがでしょう。冒頭で、前打音が音についていますが、ふつうに弾いているところと前打音が違うふうに聴こえると、動きが見えてきます。調性が不確かになる時期の入り口の曲なので、華やかさもありつつ、リストの意外な面も感じ取れます。とても素敵な曲です。
2016年フランツ・リスト国際ピアノコンクール第1位、6つの特別賞。 21年エリザベート王妃国際音楽コンクール第4位入賞。第14回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールにて19歳で最年少入賞。国内はもとより、世界各地20ヵ国以上で演奏を重ね、国際音楽祭への出演多数。2015年CDデビュー、2020年3月、世界初録音を含む意欲的な編曲作品アルバムをリリース。阪田知樹ピアノ編曲集「ヴォカリーズ」、「夢のあとに」、阪田の作曲した「アルト・サクソフォーンとピアノのためのソナチネ」を音楽之友社より出版。2017年横浜文化賞文化・芸術奨励賞、2023年第32回出光音楽賞、第72回神奈川文化賞未来賞を受賞。