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今月のお薦めアーティスト ウラジーミル・フェドセーエフ

伊藤恵
「チャイコフスキーの音楽には優美さと素朴さが欠かせない」
と語るフェドセーエフ

優美さと素朴さ 感傷とは別
──フェドセーエフが語るチャイコフスキー、そして音楽

 ロシアの名匠、ウラジーミル・フェドセーエフがこの春、NHK交響楽団を指揮し、兵庫県立芸術文化センターなど関西地方の4ホールで連続公演を行った。小山実稚恵と共演したラフマニノフのピアノ協奏曲第2番と、チャイコフスキーの交響曲第5番という珠玉のロシア・プロ。インタビューで語った演奏論や解釈には、90年の人生の歩みが映しだされている。

弱音であるほど増す情熱

 ──N響の楽員はチャイコフスキーの交響曲第5番を熟知しています。それでも東京でのリハーサルには長い時間をかけたのですね。
 フレーズの表現の問題です。例えば第2楽章のホルン・ソロ。ここは華麗に演奏されるのがふつうです。違います。 「コン モルト エスプレッシヴォ」と指示が書いてある。とても静かに、優しく吹かれなくてはならないのです。とても優しく、です。ホルンには難しいから、ふつうはメゾフォルテで吹いてしまいます。
 この部分の音楽は初めは隠れています。ふいに現れます。物語るように、ゆっくり、優しく吹かなくてはなりません。
 モルト エスプレッシヴォとはどういうことでしょう? エスプレッシヴォとは、感情を呼び起こすこと。エスプレッシヴォと書かれていれば、強く、激しく演奏することがあります。ですが、「弱音であれば弱音であるほど、情熱が増す」ように演奏することもできます。第2楽章のホルン・ソロは、天空から姿を現すようなイメージ。(旋律を歌いながら)朗々と吹くのでなく、出だしはほとんど聞こえないくらいであるべきです。同時に深みが必要です。

ホルン・ソロが伝えるもの

 ──それに先立つ導入部をどう解釈しますか?
 導入部ではありません。冒頭で「聖歌」という性格が与えられるのです。奏でるのは、歌。ホルンがふいに加わります。平和なハーモニーを歌います。
 これは何についての音楽なのか? だれにも明言できませんが、なにか偉大なもの、過去のもの、本物であるもの、未来の予感について…。(さらにホルン・ソロの旋律を歌いつつ)神についての語り。音楽は、神聖な存在そのものに姿を変えることができます。ホルンばかりでなく、冒頭部もとても大切です。ホルンが加わって大きくなります。
 そして、その後、悲劇も現れます。
 ──交響曲第5番全体は、運命との闘いであると解釈されてきました。
 その通りです。よくないこととの闘い。この音楽には悪の否定と善が表現されています。
チャイコフスキーの音楽をセンチメンタルと解釈するのは間違っています。センチメンタルとは、気まぐれであり、深みのない感情です。チャイコフスキーの涙は、本物の涙です。
 素朴さも大切な要素です。交響曲第4番の第2楽章。オーボエが吹く旋律にはセンプリチェ(素朴に)の指示があります。これをセンチメンタルに演奏したらどうなるか。(歌う)大事なのは素朴さ。素朴の反対は、誠実さに欠けることです。素朴さは、民衆から。グリンカも、チャイコフスキーも、立脚点は、民衆です。交響曲第4番のフィナーレ。第2主題は、民謡≪野に立つ白樺≫が基になっています。(民謡を歌う)
 交響曲第5番第3楽章も、素朴な演奏と、センチメンタルな演奏には大きな違いが生まれます。指示はドルチェ コン グラツィア。グラツィアとは、優美さです。素朴でかつ優美に演奏する。
 ──あまりに感情的にならないということ。
 そうです。その通りです。そもそもその感情というのが、異なる種類の感情なのですけれど。感情は深くなければならない。
 交響曲第5番には、悲劇的な要素があります。悪いことが起こる予感も。ドラマトゥルギーとして、恐怖も、反対に優しさも存在します。
 ──フィナーレのコーダは?
 激情であり、善です。
 ──第2楽章の話に戻れば、こちらも善と捉えられますね?
 善です。悲劇的な第1楽章からテーマが変わるのです。(再び歌う)。「君を愛している」とも言っているよう。「あらゆる人の幸福を願います」とも。

 

「音楽に勝るのはただ愛のみ」

 ──交響曲第6番の全曲の終結は悲劇的です。希望は残らないのでしょうか。
 いえ、いつだって希望は存在します。「生きるべきか、死すべきか」「私たちはどう生きるのか」──。そうした問いが示されます。ベートーヴェンの交響曲第5番の「運命が戸を叩く」も同じことです。
 音楽にはあらゆる表現が存在します。ですから、私は思い出すのです。「音楽に勝るのは、ただ愛のみ。だが愛とは、メロディーなのだ」──。偉大なロシアの詩人、プーシキンの言葉です。つまり、音楽とは、愛です。力でもある。(人を癒す)医者以上の存在かもしれません。
 私は、レニングラード(現・サンクトペテルブルク)生まれです。9歳の時、(ドイツ軍による)レニングラード包囲を経験しました。何も食べ物がなかった。それでも、音楽は存在していたのです。
 ──ラフマニノフは、チャイコフスキーを心から尊敬していたということです。2人の音楽の共通点と違いをどう捉えますか?
 ラフマニノフは、優れた劇作家のような作曲家。ピアノ協奏曲第2番の第1楽章でオーケストラが奏でる第1主題もまた、偉大なもの、人間を超えた存在を表している。チャイコフスキーが交響曲第5番第2楽章で表現したものと共通しますが、表し方が違う。「言語」が異なります。(この2つでいえば)ラフマニノフは泣きながら、チャイコフスキーは微笑んで作曲したと言えます。
 ──ラフマニノフの協奏曲の第2楽章と、チャイコフスキーの5番の第2楽章は同じ世界であると言えるでしょうか。
 スタイルは異なりますが、感情は同じです。
 ──小山実稚恵さんとは初共演から40年以上。強い結びつきを感じます。
 ミチ(小山)には、もちろん日本の心も、そしてロシアの心も存在します。昨日の演奏の後、「本当に深い演奏でした。モチーフの背後にあるものを見通して弾いているのですね」と賛辞を贈りました。