神奈川フィルとショスタコーヴィチを連続演奏
R・シュトラウス《サロメ》
横浜、京都、福岡で上演へ
「20世紀は同時代」親近感
─ 昨年4月の神奈川フィル音楽監督就任第1回目の演奏会では、ブラームスの交響曲第1番と合わせて20世紀の作曲家、ヘンツェ(1926~ 2012)のピアノ協奏曲第1番を指揮しました。ヘンツェを取り上げた狙いは。
ヘンツェは、いわゆるドイツの正統派ラインに位置する現代作曲家で、その意味ではブラームスともつながっているということがあります。私がベルリンで勉強していた30年ほど前にも彼は旺盛な作曲活動をしていて、例えば、オペラ《午後の曳航(えいこう)》の世界初演も私は聴いています。演出はゲッツ・フリードリヒでした。そういったことから、親しみも覚えるのですね。ピアノ協奏曲第1番は1950年の作品。ヘンツェは年を経るとどんどん複雑になりますが、まだどちらかというとシンプルな時期です。作曲から約70年が経ち、ある意味「古典」となっているとも言えるので、自分の中では、特にチャレンジングな選曲だとは思わなかったですね。
シンプルな書法の凄み
全交響曲指揮したい
─ 神奈川フィルとの共演で力を注ぐショスタコーヴィチ(1906~75)の音楽はどうとらえていますか。
私がこの世に生まれたときに、まだ彼は創作活動をしていたわけで、生きている時代が重なっていた親近感があります。ブリテン(1913~76)などもそうなのですが、同じ時代のつながりを感じます。
ショスタコーヴィチの作品は書法がとてもシンプルで、マーラー(1860~1911)の方が複雑で面白いと思っていたのですが、しだいにその凄みに気づいてきたんですね。シンプルなのにこれだけ演奏効果が上がるのはたいへんなことだと。糸が絡まっているのがマーラーだとすると、ショスタコーヴィチはきっぱりと縦の線、例えば四分音符なら全員が四分音符、そういうシンプルさがある。日本の現代作曲家で言うと、林光さんはシンプルさで人の心をつかみ、反対に私の師匠の三善晃さんはたくさんの音符を使って人の心を打つ。どちらも天才的です。
ショスタコーヴィチの凄さは、交響曲第10番を振った40代になったばかりの頃から意識するようになりました。その後11番をやって決定的になりました。ぜひ全交響曲をやってみたいと思っています。演奏したことがないのは、合唱が入っていて経済的にも負担がかかる2番、3番、13番。あと15番は、自分としては今のところ理解が十分とはいえないので準備中といったところです。
「戦争を自ら体験している世代の音楽は強いです」
─ 神奈川フィルとは昨年7月には神奈川県民ホールで8番を、そしてこの4月にはみなとみらいホールで第7番《レニングラード》を演奏しました。
2020年に定期公演で取り上げた、第9番の好評を受けての選曲でした。ドライな音響の県民ホールでの演奏ということも考えました。
以前、井上道義さんがショスタコーヴィチの交響曲全曲を振られたとき、わざわざドライな日比谷公会堂を選ばれたんです。あれは衝撃的なマッチングでした。日比谷公会堂とショスタコーヴィチの音楽の相性が良いなら、県民ホールにも合うだろうと思ったんです。豊田泰久さんが音響設計したような、新しい豊かな響きのホールでのショスタコーヴィチには、もちろんそのためのやり方があるのですけれど。
戦争の猛烈なリアリティ
理不尽への「なぜ」の問いかけ
─ 県民ホールでの第8番の実際の手ごたえはいかがでしたか。
あのときにはすでにロシアによるウクライナ侵攻が始まっていたので、以前とは違う聴こえ方がした気がします。我々の世代はこれまで資料を見ること、話を聞くことしか戦争の手がかりがなかったけれど、ショスタコーヴィチの出身地であるロシアの軍隊が今ウクライナで戦争をしていて、生々しい映像が毎日我々に届く中で演奏する第8番は、猛烈なリアリティを伴って響きました。勇壮さだけではなく、荒涼とした心、悲しみ、不安、絶望…さまざまな感情を神奈川フィルはより深く表現していました。
─ ショスタコーヴィチは次に何を演奏されますか。
まだはっきり決まっていないのですが、第10番周辺が好きなので、そのあたりを先行して取り上げたいです。第13番《バビ・ヤール》は合唱団と予算の目処がついたら。人間の権利、尊厳が理由なく奪われる理不尽さに対する「なぜ?」 という問いかけは、いま私たちがニュースを見ながら抱いている気持ちと一緒です。
戦争を自ら体験している世代の音楽は強いです。三善晃さんだと、隣りで遊んでいた子が機銃掃射で死んでしまったことなどが作曲のモチベーションになっているわけです。それに比して、私も作曲をするけれども、今どきの作曲家は何をモチベーションにするのだろう、それより強いものがあるのだろうかと思うんです。21世紀の日本の作曲INTERVIEW61界はなかなか難しいと感じます。
─ クラシック界ではこの5月、三善作品はじめ、20世紀音楽の演奏会が各地で数多く企画されました。
そうですね。朝日新聞の吉田純子編集委員が先日書いていましたが、名曲をやって有名ソリストで集客してというビジネスモデルがコロナのあとは崩れていくだろうと。全くそのとおりだと思います。規定の集客路線ではなく、どのようにしてお客様の心をつかんでいくか、我々の企画力がますます試されるでしょう。
非常に新しいシュトラウス
音のぶつかりあいを恐れない
─ 6月24日には神奈川フィルの「ドラマティック・シリーズ」企画第一弾として、R・シュトラウス(1864~1949)の《サロメ》(セミステージ形式)を演奏されます。《サロメ》の作曲は1905年。19世紀の終わり的な要素と20世紀的な要素と両方を持つR・シュトラウスをどのようにとらえていますか。
とにかく音がたくさんあるので、演奏家には、そこからいかに骨組みを取り出していくかという作業が重要になります。無調音楽の先取りのようなところもあり、音のぶつかりあいを恐れない。普通の古典音楽だったら、ぶつかった音が解決してきれいに響くまでの時間というのはそれほど長くはないのですが、シュトラウスの場合は、不調和な音を解決しないまま長く引っ張っていく。これは非常に新しい。胸のつかえ、ざわざわした感じがなかなか取れないところで聴き手の感情を揺さぶってくる。
とにかく彼は技術があり過ぎて、シュトラウスを嫌いな人は、「ただ技術をひけらかしている」「ナルシスト的で鼻につく」と言うんですけれど、史上最高の作曲技術を持った作曲家なのは確かです。その中でも《サロメ》は非常に成功した作品です。彼のオペラはたくさんありますが、これ以外には、《エレクトラ》(1908年)、《ばらの騎士》(1910 年)、《影のない女》(1917年)、そして《アラベラ》(1932年)が成功作といえるでしょうね。
輝かしさとピュアさ同時に響く
─ 来年2月の神奈川フィルとのマーラー第7番《夜の歌》も楽しみです。
マーラーは伝統的な「交響曲」の形式をリスペクトしながら、今までにない革新的な構成を取っています。演奏しやすい部類には入らない曲なので演奏頻度はあまり多くありませんが、私はCD録音の残っている東京フィル定期、名古屋フィルの300回記念定期などで取り上げてきました。そういえば、このときの名古屋フィルのチラシのキャッチコピーが「沼尻、夜の歌を歌う!」で、配るのがちょっと恥ずかしかった記憶があります(笑)。
最後はC-Dur(ハ長調)で華やかに終わるのが素敵です。不安定な音楽で始まり、ある種のノスタルジーを感じさせる部分を経て、ラストは輝かしく。ショスタコーヴィチの第7番もワーグナーの歌劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》もC-Dur で終わりますね。輝かしさとピュアさが同時に鳴り響くように感じます。
神奈川フィルハーモニー管弦楽団音楽監督、トウキョウ・ミタカ・フィルハーモニア音楽監督。ベルリン留学中の1990 年、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。ロンドン響、モントリオール響、シドニー響、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ響等を指揮。2013 年にはリューベック歌劇場音楽総監督に就任。ブラームス、マーラー、ブルックナー、ワーグナーなどが特に高い評価を受けた。新星日本交響楽団、東京フィル、名古屋フィル、日本フィル等のポストを歴任。オペラ指揮者としてはケルン、ミュンヘン、ベルリン、シドニー、新国立劇場をはじめ国内外の劇場で指揮。16 年にわたって芸術監督を務めたびわ湖ホールでは、新演出の《ニーベルングの指環》を含め、ワーグナー主要10 作品もすべて指揮、意欲的なプロダクションが注目を集めた。2014 年1月にはオペラ《竹取物語》を作曲・初演し、第13 回三菱UFJ 信託音楽賞奨励賞を受賞。
田崎尚美(サロメ)、福井敬(ヘロデ)
谷口睦美(へロディアス)、清水徹太郎(ナラボート)
大沼徹(ヨカナーン)、山下裕賀(小姓)ほか
● 神奈川フィルDramatic Series
6月24日(土) 17:00 横浜みなとみらいホール
■問い合わせ:神奈川フィル・チケットサービス TEL)045-226-5107
●京都市交響楽団第680 回定期
7月15日(土) 14:30 京都コンサートホール
■問い合わせ:京都コンサートホール・チケットカウンター TEL)075-711-3231
●九州交響楽団第414 回定期
7月27日(木) 19:00 アクロス福岡シンフォニーホール
■問い合わせ:九響チケットサービス TEL)092-823-0101
● 8月10日(木) 19:00 ミューザ川崎シンフォニーホール
辻井伸行(ピアノ)
オネゲル:交響詩《夏の牧歌》
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第2 番
R. シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》
■問い合わせ:ミューザ川崎シンフォニーホール TEL)044-520-0200
● 2024 年2 月10日(土) 15:00 神奈川県立音楽堂
モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調K.136
山本和智:委嘱新作
メンデルスゾーン:交響曲第3 番《スコットランド》
■問い合わせ:神奈川フィル・チケットサービス TEL)045-226-5107
● 2 月16日(金) 19:00 東京オペラシティコンサートホール
17日(土) 14:00 横浜みなとみらいホール
ニュウニュウ(ピアノ)
グリーグ:ピアノ協奏曲
マーラー:交響曲第7 番《夜の歌》
■問い合わせ:神奈川フィル・チケットサービス TEL)045-226-5107